日記

 

 

12月31日


数年前の12月29日に、夫とぶらっと観光地に行ったら、出会うのは、おじいちゃんとその孫らしき子、若い女性の二人連れなどが多くて、何だかとってものんびりしている。天気の良さもあったと思うけど、世間一般の喧騒から大きくかけ離れているようで嬉しく、それからは、毎年、29日には、2人で思いつくままに、どこかに出かけています。

今年は和歌山県の白浜に1泊で、車で行くことにしました。ならばと、息子も同行。さすがに土曜日とあって、それ程空いている状態ではありませんでしたが、幸い、前日の冷え込みも降雪にはならず、渋滞にも合わずに帰れました。

 

1日目は、南端の串本まで一気に行って、ランチや灯台2つ、橋杭岩などを、初めての息子に合わせて、自分たちも思い出をたどりながらのんびり回りました。最後は太地町にも行く。「何で太地町に行くねん?」と息子。「前回、行けなかったから。」と返事。鯨の博物館も余りに入場料が高額(1500円)で、2人も入る気にならなかったようで、街も通り過ぎただけ。「鯨だけではなく、イルカも捕ってるらしいのよね。」と帰り道で言う。

 

いつもの宿も、全部従来の照明で、料理も熱海と一緒で最低の和食値段のコースなのに、別の魚料理を丁寧に作ってくれてるのが伝わる。手間なので、無理しなくていいですよ。残すか他の2人に食べてもらうのでと言ってあるのに、ありがたい。何かが変わってくれたのかなあと思います。


翌日見物に寄った、白浜の有名な三段壁見物は地震か台風で崩れたようで、立入禁止区間が多く、大半が見られない。一般道を海沿いに走って、白崎海岸に寄る。春に行って、前には白く輝いて見えてた岩々が、殆ど黒ずんで、それに黒い蔦が絡まってる景観は不気味にさえ思えたけれど、今回はそこも、建物さえも崩れて、立入禁止になっていました。

 

1年近く前の沖縄の海も、串本の海中公園も、美しい魚は殆ど見られなかったけれど、自然の美しさ、不思議さをアピールしていた観光資源が、LEDを原因として、大きくダメージを与えだしたこの頃を、身をもって見させてもらった気のする旅でもありました。

 

 

 

 

 

 

12月26日


依存することや、依存させてしまうことは、自らだけではなく、相手の回転も止めてしまうのだと改めて思います。MEに、情で繋がる仲良しこよしは要らない。

 


ムーさんの日記にもありましたが、ワーク後の大阪は太陽が元気で、特に昨日の快晴は、ずっと日の入りまで続き、心まで温まるようでした。

9月で廃止になっていた筈の、JR線大阪から京都までの昼得切符。(この所、庶民の味方のような優遇の仕組みがどんどん廃止になってる気がしますが…。)チケット屋さんに、大きくありますと書かれていたので、不審に思って訊いてみたら、9月の回数券の期限が今月25日までなので、それがまだあるのだそう。当日の朝にもありました。夫はテニス。これは京都行きのチャンスと、出かけて来ました。

 

朝の夫との会話で、「そう言えば、この頃ひこうき雲見ないね。飛行機、飛んで無いのかしら?」なんて冗談を言っていたのですが、家事が一段落し、空を見たら、細い線が2本もあって、聞こえたのかしらなんて、それだけで嬉しい。

昼近くに京都駅に着いた時には、雲一つない青空の真上あたりに、右から左に太いひこうき雲だけが1本だけありました。力強かったです。又も歓迎されているようで、ワクワクしました。帰りには、この頃ボケボケで、喫茶店に帽子を忘れ、駅から又取りに戻ったりしたので、駅からの大きな太陽は夕陽となり、列車からはその側に、右から左上に1本のひこうき雲が光って斜めに伸びていました。


大好きなひこうき雲には、いつも元気をもらっているので、つい、日記に何度でも書いてしまいます。鳥の翼にあこがれて人間が作った飛行機。それが作り出すひこうき雲は、未だに何故できたりできなかったりするのか、はっきり分からないらしい。それが私には逆に嬉しいのですが、その表現を全部取り消さなければいけないような、えげつない出来事が目に入りました。大きな気の沈みです。どうしようかと思いました。

ところが、数日後、快晴の空に沢山のひこうき雲のある、とても珍しい美しい景色として、インターネットで放映されました。その日、テニスから帰宅した夫も、今日のひこうき雲の空の景色は余りに不思議で美しくて、みんなで見とれてたと話しました。

勝手な思い込みかも知れないけど、大きなホローを感じています。自然からの大好きな物は、できるだけ沢山あるといい。大勢の人が、青空の中をぐんぐん伸びて行く雲に、元気を沢山もらえたらいいなと思います。

 

 

 

 

12月20日


今回の東京ワークへは、往復青春18きっぷでの旅。中で東京1泊したこともあって、ゆったりとした気持ちで、いろんな土地を通り過ぎた気がします。この時刻、この場所ならではの、美しい景色も沢山味わえました。こんな土地がどんどん増えていく。これからが嬉しい。


熱海は、駅前で買物の為に一度戻り、引き返した時にハッとする思いで出会ったしだれ梅が、余りにみすぼらしくて、何か訴えかけているようにも思えて忘れられず、勝手に縁ある場所と決めている町。ワークの往復によく利用しています。その木は、とうに切られてコンクリートだけが残っているのだけれど、今でも話しかけてる(笑)。

都心から近い温泉場とあって、歴史的にでなくとも、かなりのきつさを感じる街。伊豆地方は鎌倉時代の歴史を未だに沢山背負っているようで、時には、何で好き好んでここに泊まるのかしら? なんて、うなされる時も経ているけれど、太陽はいつも歓迎してくれてたようで、又行ってしまう(笑)。

今回は、いつもの宿のスタッフが、より明るく楽になってるようでにこにこ。部屋の照明も従来のままが殆ど。久し振りに取った食事も、何も言わなくても肉類を変更してくれてる。とりわけ、東向きの窓からの朝日は、黒雲にも負けなくて素晴らしく、しばし見とれて、太陽に一杯感謝した時間でした。

 

行きも帰りも、愛知県、静岡県あたりを境にして、空気が一変するような気がしました。行きの浜松付近の晴天は、今まで見たことも無いような青空で、それだけでワクワクさせてもらえる景色でした。ところが、帰りの愛知県に入った頃からの重苦しさは、もしかして、ムーエナジーを一杯浴びた私には、拒否反応なのかなと思ってしまった程。

もう直ぐ、大阪ワークです。ムーさんはもっともっと歓迎されない存在かもしれない。その大変さを、少しかも知れないけど、体験させてもらったようでもあります。この大変さ、重苦しさが、少しづつか、急速にか消えて行くこれから。大きな楽しみのこれからです。

 

 

 

12月14日


2日間かけて、掃き出し窓近くに座卓を寄せて、「再生」「復活」を読む。雲に隠される時もあるけど、時にはガラス越しには、真夏を思わせるような太陽の光を、センテンスの用紙にも、自分にも一杯浴びながらの時間。

今日は、それもあるのか、ムーさんの新しい日記のせいもあるのか、地球の真ん中を意識しながらの足取りは、??と思う程に、一段と軽い。御堂筋も、心斎橋も、本町も、何だか、街が喜んでくれてるみたい。出会いの人たちも、丁寧で明るい。

 

少しのつもりが、寄り道寄り道したせいか、帰りは夕方近く。空高く、三日月があって、向かって歩く。見つめても、もう涙は出ない。大丈夫だよね。

 

 

 

 

12月10日


いつの間にか、フォトブックもチラシも快くカウンターに置いてくれるようになった、ご夫婦でされてるベトナム料理の店。娘さんの部屋の照明も従来のに戻したそう♪


その店に『日本が売られる』の著者で、国際ジャーナリストらしい
堤 未果さんが来店し、LEDの影響に興味を持ってチラシとフォトブックを数冊持ち帰ってくれたそうです。著者のサイン入りのその本をいただいて帰りました。帯封には、「今、日本で起きてるとんでもないこと」と書かれている。

知らなかった重いことも多くてすうっと入らず、まだ全部読んでは無いのですが、農薬のことも書かれています。カメムシがコメの穂を吸う時にできる黒い斑点が、農家から出荷する時の検査基準で引っかかるので、ネオニコチノイド農薬を使うけれど、それはミツバチを全滅させる程の農薬なのだそう。


美味しい玄米餅なのに、モチ米がどこにもないと諦めかけていた時に、山陰の道の駅で30?入りのに出会い、喜んで、1部LED照明の店だったので、下の方から購入してきました。ところが、いざ、袋を開けてみたら、黒さの目立つ米がかなり混じってる! 最初の頃は時間をかけて取り除いていたけれど、前に農家の人から、安全に問題は無いと聞いたのを思い出し、虫さんがつつくのは美味しいからかもと思い直して、そのままモチにしてみました。仲間も変わりなく美味しいと言ってくれる。

単身赴任中の息子は、柔らかいままを冷凍にして、食べる時にオーブントースターで焼いて、スープに入れたり、そのまま食べたりするそうだけれど、今度の方が返って美味しく感じると言っていました。


斑点米が等級の基準を下げずに、消費者も斑点米を普通のことと承知で購入したら、大量の農薬を使わずに済みます。農家の人も楽になるだろうなと思います。

 

 

 

 

12月8日


昨日の太陽は面白かったです。朝から分厚い雲のあった日。近くのオール電化のマンションを、カラスはよく集合場所にしているけれど、昨日も沢山のカラスが行き交っていました。早くからかなりの鳴き声。

用事を済ませた後にベランダに出たら、南東の曇り空に小さな太陽がいて、いかにも??? 見つめていたら、明るくなって、まるで太陽が片目で覗いているみたい! 思わずそのお茶目振りに吹き出してしまい、消えるまで勝手にお喋り。「今、ムーさんが太陽のこと、一杯書いてくれてて嬉しいね。」なんて言ってたら涙が溢れてしまった。(笑)

次は太陽の大きさより一寸大きい雲の穴のようで、周りの雲も光ってる。次は雲が薄くなって白い太陽。次が本来の太陽。暇人の身なので、その度に勝手なことを太陽と話してる半日でした。

 

今朝は快晴! とっても明るい! シーツも洗ったけれど、直ぐにでも乾きそうな陽ざし。今日もまだ、暖房は要らなそうです♪

 

 

 

 

 

12月6日


淡路島で出会い、小学生も一緒に出るからと、フェスティバルホール開催の入場券をくれた80歳代だという女性から誘ってもらったので、阪急宝塚線に乗って行って来ました。今まで乗る気になれなかった電車。出会いの時渡したフォトブックとチラシは、回覧のように回してくれているらしい。


かなり早くに着いたので、近くを歩いてみました。駅から少し離れるとかなりの急勾配の住宅地。土地の購入事情や、見晴らしが良いからと、こういう住宅が多いけれど、LEDの影響を思うと、微生物が減ったことによる地盤のゆるみに危うさを感じてしまいます。


幸いにも、案内してくれたランチの店も、喫茶店も従来の照明。その方のほうが、私よりはるかにはっきりとLEDの悪影響を店でも説明してくれて(笑)フォトブックもチラシも受け取ってもらえる。顔見知りの人や、偶然に出会った人にも渡って行って、帰るまでに本は無くなり、チラシの残りは彼女が縁ある人に渡すからと受け取ってくれる。


彼女のことを何も知らないままに、ランチ後に連れて行ってもらったのはとっても見晴らしの良い小学校。丁度昼休みだったようで、廊下を行き交う子供たちは、全力で走ったりもしてて、生き生きとても元気! 何人もが私にまで挨拶してくれる! そこで30年間、毎週水曜日の放課後に、自分は全然縁が無かった世界なのに、校長先生に2面の寄付があったお琴を役立てて欲しいと言われたのをきっかけに、自らも習いながら、3〜6年生の希望者にボランティアで教え続けていたそう。

この日も、10人ほどの(男子も1人)子供たちが来て1月にあるコンサートに向けての曲も仕上げていました。琴は準備にかなりの体力が要る。数人共高齢なのに…。終了後の片付けはいつも子供たちがやるそうなのでホッとする。口コミの寄付で徐々に集まったという琴は、30面以上もあるそう。太陽を浴びながら窓際に座っていたけれど、その前から下半身がずっと冷えてる。手もかなり冷たい。でも、子供たちはとっても可愛い。この前のフェスティバルホールに出演したらしい5年生も3人要る。


何も知らなかったとはいえ、琴、能、狂言の世界に縁してしまったことのある自分だからこその、責任ある時間だったかなあと思ったりします。ここに集う子供たちの為にも、少しでも癒されたなら嬉しい。

 

 

 

 

12月4日


電車に乗ると時々出くわす、深く眠りこけてしまう人。倉敷からのJRでのボックス席で斜め前に座った若い女性もその一人で、幾つか前の駅では突然和気の駅では無いですかと飛び起きたのに、和気近くになったら、ゆすっても起きない。気が気じゃないので、ドアまで連れて行って降りてもらう。ホッとしたけれど、何だかホームを眠ったまま歩いているみたい。

気になってムーさんに質問したら、そういう人は、心の奥の奥の方が癒されてるのだから心配ないのだそう。でも、終点では起こしてあげなと言われる(笑)。それからは、居眠る人に出会うと、総ての人がとても愛おしくなる。そして普通にしてるだけなのに、とてもありがたい役目をさせていただいてるなあと、感謝で一杯になる。

 

 

2週間ほど前に私の車を借りて行った息子が、返しに来るというので、又、いつもの思い付きで、米原で合流。その車で、この前、電球を換えたおじちゃんが気になるからと、福井県の道元さんゆかりの場所と言われる木の芽峠と近くのお蕎麦屋さん、東尋坊、越前岬、翌日には天橋立からと、後で気付いたら若狭湾を1周して、湯村温泉にも寄り、1人での帰りには生野銀山にも寄って、昨日帰りました。

 

木の芽峠では、いつも何かしらの妨害を感じるのに、太陽は喜んでくれてる?? 行けば行くほど?? でも!! しばらく思うままに行動させていただこうかと思っています。

 

1日目は白い太陽が多い日でしたが、2日目は天の橋立での一時の黒雲以外はからりと暖かい晴天。夕暮れに寄った湯村温泉に着いた時には、白い雲が縞模様のようにあり、ピンクの空がとても美しかったです。

かって「夢千代日記」という人気テレビドラマで一躍有名になった湯村温泉。映画にもなりました。いろいろな面があると思いますが、主人公が胎内被曝の辛さを抱えていたので、原爆の恐ろしさを沢山の人に伝えた役目もしてくれたかなと思っています。

ここも、かなりの中国人らしい観光客。94°Cはあるという高温の温泉の湧いている広い場所は、まだ沢山の人がいました。直ぐ近くの売店では生卵を網に入れて売っています。温泉につるして12、3分したらゆで卵ができる。川沿いにある足湯につかりながら待っている人も多い。私たちも5個200円のを買ってつるしてみました。足湯では、赤ちゃんを抱いた若夫婦が隣りに居て、その赤ちゃんがニコニコして中国の人にも人気者。待っている間も、食べている間も、みんな何とも和やかで嬉しくなる。

 

 

 

 

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11月28日


朝ははっきりとしたオレンジがかった太陽でしたが、時々見せる雲を通しての太陽は、まるで白い月のよう。形を持たない太陽が、地球からは丁度、月と同じ大きさに見えるって、地球の生物(人間)にとって、太陽からの大きなプレゼントのように思われます。

 

ふとした思いで行ったつもりの、仲間との車での淡路島行きでしたが、直後には、何で行ったのかしらと情けなくなったりもしました。でも、ふと振り返ると、後に続く出会いもあり、それぞれに何か教えられた機会でもあったような気がします。何事もプラスになる(する?)この頃。

仲間1人を送り届けた後、不慣れなカーナビ操作のせいか、かなりのくねくねした山道を行くコースを走りました。夜の行き交う眩しいライトに照らされなくて助かったと仲間の言。 偶然見かけた展望台に寄ってみたら、車が5,6台停まってて、夜景を眺めてる様子。広い空の真上には半月と、街ではとても見られない沢山の星たち。下界には神戸なのかその続きなのか、明るくて広い夜景が見渡せました。最近は夜外出することも殆どなくなったので、新鮮な気持ちで、少しの間見とれていました。思い出しても、まるで、地球と宇宙を感じさせてくれる時間と場所だったような気がします。

BSワークでの処方箋を、時々は、その場所に佇んでいるイメージでさせてもらおうと思っています。

 

 

 

 

 

11月22日


BSワーク前に、「太陽系の外側 のアップが嬉しい。

 

自分の中にまだまだあったのだろう、かなりの否定感情がどうにも消えない。こんな自分はみんなと一緒に参加できないよと目覚めて怯えてしまう夜中。どうしたらいいのだろう? それなのに、睡眠不足のまま起きて行動しても、軽やかで、階段1段飛ばしまで平気? 太陽はどこに行っても連いて来てくれる?

 

日本だけではなく、世界中で地球を破壊してるような気さえするこの頃。その病みの土台を、宇宙の外側に姿を消させる役を少しでも担えるなんて、こんな幸せなことはない…。今更ですが、自らを浄化しながら、みんなと一緒に、ムーさんと歩いて行きたいと真に思います。

 

 

 

 

 

 

11月20日

 

目からウロコ(4)

 

エレベーターで、茶色の犬を抱いた40代位の女性と一緒になりました。「ワンちゃん、LED照明が苦手じゃないですか?」と訊いてみました。「別に…。」と返事されて、こちらを向きました。

LEDのことを話しながらチラシをバッグから取り出そうとしたけれど、咳が出だして、喋れないし、取り出せない。その普通に見える女性は、何事も無い風に、途中の階でエレベーターを降りて行きました。

それから、自宅に帰っても咳が止まりません。鼻水まで出てくる。収まったと思ったら、かなりの落ち込みと気分の悪さ。たまらなくなって、太陽の当たる場所で少し横になるつもりが、寝入ったようで、目覚めたらどうにか回復していました。

すぐ近くに、こんなエネルギーを持つ人も住んでるようです!

 

 

 

 

11月19日

 

もう直ぐの、大阪BSワーク前に、いよいよ新しい時代への始まりを知らせていただいたような「無有日記」。いろいろ出てきますが、心引き締めながら楽しませてもらおうと思います。

 

考えられないような負のエネルギーが、あからさまになってきたように思います。久し振りに近くの郵便局に行ったら、カウンターに女性の乳房をかたどった片方が、見本で置いてあってビックリ! その下には、その病みの説明入りらしい同じ写真付きのチラシまで下げている。その上、音声で病気の可能性らしい説明を絶えず流してる。

たまらなくて、局員さんに、余りにもリアル過ぎる。男性も目のやり場に困るのでは無いでしょうか? 何かの機会に、そんな声もあったと伝えて欲しいとお願いして帰りました。

 

住んでいるマンションも、台風を原因とする、地下からの階段壁の大きなひび割れの修理がやっと始まりました。外のかなりの数の倒れた木々はまだそのまま。ベランダの隣家との境にあるパーテーションボード(避難扉)もかなりの戸数で強風破損したらしいのですが、これから実態を調査して、12月中旬からやっと復旧に取り掛かる予定だそうです。我が家のは、出したままになっていた隣家の大きな植木鉢が強風でぶち当たったために割れたのですが、こういうケースでの、この間の隣人の気持の負担は大変なものに思われます。

 

 

 

 

 

 

11月16日


早起きした昨日の朝の景色は、思わず歓声をあげてしまった程の透明感のある日の出の景色でした。そして、雲があるのに負けないよと言ってくれてたみたいな夕陽のオレンジ色も、今迄にも増して鮮やかでした。寝坊した今日も、素晴らしい快晴の朝。

思いついて、下駄箱に入ってた2人の履物、スリッパを全部、ベランダに干しました。普段開け放せない玄関は、かなり通気性が悪い筈なので、努めて使用した靴は干すようにしてたけど、今日の太陽の元気さを浴びた履物は、いかにも嬉しそう。夫が用事で、そのつっかけで少し外出したら、温かくてとても気持ち良かったそうです。先程は、革靴を嬉しそうに履いて出かけました。

 


ワーク帰りに、先月行った街に又行ってみました。我ながら街の何も見ていなかったことに呆れる程の、駅前は高層ビル群。知り合った女性と、又、ランチしましたが、相変わらず面白くて楽しい時間。LEDのことも承知して会ってくれたのも嬉しい。隣りの街に行ってみたいと言ったら自転車なら案内すると言われて、初めてレンタサイクルを経験。サドルが高くて緊張もしたし、人ごみを後に付いて行くのも緊張。それでも幾つになっても初体験は楽しい。それにしても、どこの街も最近は自転車が溢れてるような気がします。地下鉄などの交通機関が高額なのも影響しているのかな?


別れ際には、これから居間のLED照明を元のに変えたいから、リサイクルショップに寄ってみると言われる。ランチの支払いを、遠くから来たのだからと済ませてくれていたので、せめてもの気持と、残っていたホームベーカリーで焼いたパンと玄米餅2切れを渡したら、電話で、優しい味がして、感動する程美味しかったと言われる。LED照明の恐さだけではなく、食の風景も伝わったようで、ワーク帰りは、ますますいろいろ寄り道したくなるかもしれない。

 

 

 

 

11月14日


新宿にて、夕飯を済ましてホテルに戻る道で、若いご夫婦と小学校の低学年らしい男の子が前を歩いていました。その男の子が、突然、「こんにゃく食べたいよう! 三角の大きいのが食べたいよう!」と大きな声を発しました。これから外食にでも行くのでしょうか? 顔が見たくなって並んで見ましたが、手振りまで入れて訴えています。先を歩くご両親は無関心。それでも、何度も何度も訴えています。ボクを応援したくなりました。食べられたらいいなあ!



東京行きの新幹線で、豊橋から私より少し若いだろう女性が隣りに座りました。ムーセンテンスを読んで、涙が溢れてしまっていたのを、悲しみの涙と勘違いしたのか、「良かったらこれ読みませんか?宗教じゃないですよ。」と読んでいたのと同じ冊子を勧める。この著者のお話しをこれから聞きに行くのだそう。受け取らずに、それならとチラシとフォトブックを取り出して見てもらいました。最初、LEDって何ですかと、ビックリされてたけど、どちらも目を通して、ちゃんと話しを聴いてくれました。子供や孫たちのこれからを思ったら、ほっとけませんよねと言ってくれる。自分はパソコンをやらないので、息子に見てもらうとも言われる。「今日話される方が、このことに関心を持たなかったら、本当にみんなのことを考えてくれてる人なのか、判断がついていいかも知れませんね。」なんて言ってしまう。心ある人が、無駄なことに時間を費やすのはもったいない。

私に向いた方の耳が不自由だそうで、自然と、ゆっくり、はっきりと話すようになります。ふと、東京駅で立ち上がった前の席の男性も、話しを聞いてくれてたような気がしました♪

 

 

 

 

11月11日


夜明けが遅くなっています。早起きして空を見たら、明るくなってきた東の空に、明けの明星と名付けられた金星が光って(反射して)見えました。優しさと喜びを感じます。金星も、今日のワークに参加してくれるのかな?

 

 

 

 

11月10日


努めて平静を保ちながら、スムーズに動いてくれないパソコンとコピー機に四苦八苦しながら向き合う毎日だったなあと、今更に思います。5日からは、かえって戸惑う程に順調に動いてくれています。ありがとうございます。


大阪はずっと暖かいです。今日もですが、朝に雲があっても、いつの間にか太陽が出て、その光りのエネルギーは半端じゃないような気がします。過去のいろいろが出て来てるのですが、ムーさんの日記に助けられながら、太陽を浴びながらの毎日は、仲間と歩く、新しい未来への出発点になりそうです。別世界にいるような気さえします。つい、気負いそうになるのを抑えながらの毎日です。

 

 

 

11月5日


アップされた「復活(5)」の1。「そして地球になる。」が心に沁みます。地球になる生き方をしたい。

 

昨日来宅した息子と、帰る前にベランダに出たら、丁度、一段と赤さの増した太陽が、半分程沈みかけていました。それでも、とっても明るい! もう殆どが沈むという時に、少し目を離してから戻したつもりなのに、まだそのまま在りました! 時間がスローになったのでしょうか? 相変わらずお茶目な太陽だったのかな? まるでムーさんみたい! 楽しませてもらいました。


嫌われているようにまで思える、最近の私のパソコンの不具合。ジオシティーズのサービスも来年の3月までなので、その事もあって来宅した筈の息子。正午前に来宅し、早速に動きにくかった扉を修繕してから昼食。(サラダとココナッツミルクでの全粒粉半分のスープスパゲティー、玄米餅のトッピング付きは我ながら美味。)その後、パソコンに向かったのですが、直ぐに眠くなったようで、帰る間際の3時間以上を眠っていました(笑)。私が何をした訳でもないのですが…。きっと、幼い時から要らぬ思考をいっぱい使わせてしまってた息子です。心の奥の奥が少しでも癒される時間だったら嬉しい。

HPの移動もいろんな選択肢があるようなので、要らぬ心配はしないで済むような気がします。

 

 

 

11月2日


仲間が撮影してくれた、「無有日記」(2)の、ダムの劣化 ?  は、前に住んでいた街の水源でした。アップされた時に気になって、日にちは忘れましたが、全部をコピーし、ダムに行ってみました。バイクで行きましたが、ダムに到達するまでの道の、亀裂、凹みなどの傷みようもひどくて、夜には危なくてバイクではとても行く気になれない道。慣れないせいもあるけど、走っていて、今にも周辺の山がダムを巻き込んで、崩壊してしまうのではないかと恐怖を感じたりしました。

管理事務所の前には、数人の男性がいて、その日は、ダムの見学イベント行事の時刻が近づいていたらしく、こちらの話しを聞く気にはなれないようでした。それでも、そこで働く人たちは、水源の水を何としても守るのが仕事。その中の一人に、ダムがかなり傷んで気になるのでと受け取ってもらいました。でも、きっと、無理やりはダメですね。

公団住宅を含め、かなりの広範囲の開発が、建物は完成してても、このダムができるまでの10年近く入居がストップしたままでした。今でも、沢山の住民を支える水源の筈。設備に安心しきって聞く耳を持たない現場の人たちに、その時は、とてもむなしいものを感じてしまったのでした。

 

 

 

11月2日


10月は、夫が何やかや泊りがけで留守のことが多く、私にとってもいいアクセントになりました。かなり行き当たりばったりの遠出もできて嬉しかったです。

大阪ワークの日に、仲間が京都の自宅付近の地図も描いてくれたので、ついでにその辺も歩きたくて、京都に1泊して来ました。思ったほど寒くも無く、いろんな所を、かなりの歩数で歩きました。
京都市内を走る電車で、途中から乗車したお寺のらしい作務衣を着た男性が、私の座ってる席の直ぐ側に立ちました。なぜか、そんな気がして、つい降りる時に、斜め前に移動して立った人の顔を見てしまいました。ぞっとするような目つきで睨んでいました!
帰りの大阪市内での地下鉄では、左隣りの空いた席に、黒っぽい服の男性が座りました。不自然に大きく開いた足。最初足だけでと思ったのに、それと腕で、徐々に強く私を小突きます。気のせいか、その人の癖なのかなとぼんやりと思っていたけど、降りる駅が近づいたので早めに席を立ちました。後ろで何とも気持ちの悪いうめき声がしました。
これって、もしかしたら、どちらも、私が嫌われた行為かしら???


それでも最近は、京都の土地も太陽も、いつも歓迎してくれてるような気がします。

 

 

 

 

 

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10月25日


丁度、今日付けのムーさんの日記にあった、湿度30〜40%、最高気温25°Cより少し高い位の10月の初旬に、鳥取砂丘を裸足で歩きました。まだ日没には1時間以上あったと思いますが、歩いてもじっとしていても、暑くも寒くも無く、何十年も前のあの暑さとしんどさは何だったのかしらと思いました。とても、再び歩く気にはなれなかった場所でした。今回は、後からの足の筋肉痛も無い。

 

日なたの砂は軽やかで柔らかく、日陰はひんやりと少し硬くて、どちらもとっても優しく感じられました。若者たちは、急な斜面を競走して駆け下りたりして遊んでいましたが、適当に足が砂に入って、全然怖く無いのだそうです。小高い丘のてっぺんにシートを敷いて、寝そべって居る人もいます。きっと、視界が全部青空なのでしょう。


残念ながら、入日は雲が出て見られませんでしたが、丘に上った小さな子供さんからお年寄りまで、沢山の人たちが、何だかとっても穏やかに和やかに見えました。太陽が元気になって、これから、本来の沙羅の沙の役割をする砂を、感じさせてもらえた時間だったようです。こんな風景が多くなるのかなあと、今更ですが、とても
ありがたく思います。

 

 

 

 

 

10月24日


とってもいい天気だったのに、入日の頃には西の空に雲の帯があって、太陽は見えない。月はどうかなと東に目を向けたら、丁度、生駒山の尾根からオレンジ色が少し見えていました。ゆっくり見ようとベランダに出たら、まるで丸い風船のようにあっという間にするすると昇って行く。一瞬、地球の自転が早くなったのか! と勘違いしてしまいました。


秋の夕陽は、あっという間に沈むので、”つるべ落とし”と形容されるけど、月の出のこの早さは、何に例えたらいいのでしょう? 秋の日の入りを、理屈の分かる人は、斜めに沈んで行くから、遠くからは早く沈むように見えるんだよと説明してくれたけど、私にはピンと来なくて、呆れられました。(今はかろうじて分かるけど…。)でも、理屈の分かる人の殆どが、LEDの悪影響や恐さが分からない。分かろうとしない。

 

 

 

 

10月22日


「復活」(3)になるだろう「無有日記」がアップされる度に、大きく反応。まだタイトルだけで、文章の無いページを開いても、より大きく反応する。ガジガジ頭が、どんどん柔らかくしてもらえそうで嬉しい。

時計を見間違えて、いつもより30分以上早起きしてしまったので、時間にゆとりがある。夫が出かける前に、ふと思った、キッチンのカウンターの移動を手伝ってもらいました。この頃は、億劫がらずに新しいことに一緒にトライしてくれるので助かる。そのがさばる家具を大幅に移動したことで、色んな小物が動かせて、思いがけない位ゆったりした空間になったような気がします。


LEDの悪影響も、何か1つ大きく動いたら、連鎖的に大きく動く時が来そうな気もするし、そうなればいいなあと、これからも動いていようと思います。

 

 

今日も素晴らしい晴天だったので、梅田までの1時間程を歩き、お茶しながら「再生」を読んでたら居眠ってしまって、帰りは地下鉄。斜め前の60代かもしれない白髪の男性のファッションが、余りにカッコ良く見えて、しばし見とれてしまいました。男性が、ダークな赤の大きな柔らかそうな皮のバックだけでも珍しいのに、白い角形の腕時計。少し赤みがかったキウイフルーツのような色合いの柔らかそうな靴。白いTシャツには何か模様がある。上着は落ち着いた黄土色と焦げ茶色のツートンですが、非対称。白い髭まで少し伸ばしてる! かなり長年オシャレを楽しまれてた人のような気がして、途中からスマホをしていたので、遠慮なく眺めさせてもらいました。そしたら、急にくしゃみが出だして、それでもスマホはやめない。1つ前の駅で降りられたけど、もしかしたら、こちらが意識を向けた(向け過ぎ?)せいでの反応かな? なんて思うと、申し訳ないやら、可笑しいやら…。オシャレを称賛していたのだから許してください。

 

 

 

 

10月21日


前に短時間行って気になっていた、城下町長府にも寄りたくて、下関に1泊し、駅の土産物店では、当たり前のようにくじらの肉が売っていて、現実に戻されたような気持になりました。翌日は福岡に行き、仲間の運転で、彼女が前から気になっていたという、佐賀県唐津市の呼子(よぶこ)町に行って来ました。

どれだけ続くのかと、かなりのキツさを感じる、驚く程のくねくねした松の木の沢山ある、虹の松原の中の道を通ってから着いた港。今はイカ漁が盛んだそうですが、江戸時代には鯨漁が盛んで、かって巨万の富を築いたと説明のあった屋敷跡に、当時の物や、明治時代の映像も展示されていました。じっと見る気にはなれない。

 

乱獲の危険も顧みずに、日本の近海を通り、私たちを見守り続けてくれてたくじら…。フォトブックとチラシを渡したり話したりだけで、他には、青い空に白い雲の浮かぶ晴天の海辺で、淡々と貝殻を拾ったり歩いたりしただけの自分たちの楽しい時間だったかも…。手ひらだけで、何ができたわけでもなかったけれど、帰る時の空には、大きな夕陽とひこうき雲が何本もできて、とっても美しかったです。

 

 

 

10月18日


無有日記の「WORK」欄には、「旬の無有日記を材料に、心身の不調の原因に触れ、病気も争いも無いところ(次元)からの真の普通の原因を広げます。」と書かれています。この頃のワークでは、特に直後には、自覚してないような、大きな力を付けてくれてるなあと感じることが多いです。


今回会った女性2人には、長年看病も続いた、半身不随のご主人をつい最近亡くされたという、共通のものがありました。最初の方は、店のお客が殆ど無いこともあって、とめどなく話しが続く。そんなタイミングだったのでしょうか?。


後の人は、仲間から聞いていたビーガンバーガーの店での出会い。初めて行くその駅から店への道には、2軒も蛍光灯の八百屋さんがあって嬉しい街。こんなにハイテンションだったら、周りはしんどいだろうなと思える店のスタッフも感じましたが…。。私の前に注文していた、私より少し年配の女性は、何回か来られてたようで、特典のあるクーポン券を出しましょうかと言われて、「そんなのいらない。いつも気ままにしてるから。」と返事。その様子が面白くて、思わず吹き出す。気が合いそう! 窓際のカウンターで隣り同士に座らせてもらいました。2人で、開店したばかりらしい店の感想も伝える。新しいスムージーの味見を頼まれて、自分の作った方が美味しい。少しバナナを入れてみたらとアドバイス。とっても美味しくなったような気がします。お互い、沢山話しをしたような気がするけれど、愉しくて全然疲れない。彼女もそう言ってくれる。


店のきつさも何となく承知して、それでも、行きたいから行った場所。初めて食べたペンネのバーガーもサラダもコーヒーも、あまり美味しく感じられない。でも、最近は、そんな場所でも、大切な人に出会える貴重な場所になったりします。かなりの悲しみも経験しただろう人の共通した、凛とした優しさを感じる方との出会いでした。その方にも、一寸頑固そうな、種ありブドウのほうが美味しいんだよと言っていた八百屋のおじちゃんにも、フォトブックもチラシも受け取ってもらえました。

 

 

 

 

10月13日


蛍光灯の店で、LEDの悪影響も伝えてあり、いつも美味しく感じていたけれど、まるでゴムのような味と食感の豆腐が続いて、悲しくて、しばらく遠ざかっていました。ひょっとして美味しいコンニャクがあるかしらと寄ってみました。幸い、最初にLEDの悪影響の私の話しにちゃんと向き合って聞いてくれてた青年がいたので、ホタテの貝殻を使ったのがあるか聞いてみました。それは無いけれど、石灰を使ってますと言われる。ずっと蛍光灯のままですよと誇らしそうに言ってくれたので、大豆か水がおかしかったのか、味が変だったので来れなかったと詫びました。フォトブックもチラシも受け取ってくれました。
引き締まっているコンニャクは、少し湯掻いて味をみたら、そのままで、どんどん食べたくなる美味しさ。昨日はおでんに沢山入れました。湯葉や豆腐も美味しくなっているような気がしています。応援したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月10日


この連休は、預けてあった車を取りに行き、大山の麓と、若狭湾の原発3カ所(もんじゅ、美浜、高浜)、木の芽峠etc、に寄って来ました。息子の運転なので、効率がいい。


雪のある間は見えなかった大山の、えぐれる様な沢の崩れが痛い程よく見える。折から、開山1300年祭として、今年はいろんなイベントが県をあげて行われているようですが、1300年も辛い役をさせられていた悲しみ、苦しみのような気がして、たまらない景色でした。太陽、月、惑星へと同じように、しばし、会話をしていました。

 

前に、大飯原発に行った時も、素晴らしい晴天の日でした。行けども行けども着かないような半島の先にあった原発。若狭湾は本当に美しいのに…。私には、実際に見てみないと分からないことが多くて、つい行きたくなってしまう。今回の2つの原発も、湾の静かな海の中でも、もうひとつ静かな入り江に作られていました。かっては、魚たちにとって憩いの場所だった気がします。漁師さんにとっても。今は禁漁区です。
電力会社の立派なPRセンターは、どちらも殆どの照明がLED。制服がスーツなのか、スタイルのいい受付嬢は、訓練されているのか、LEDフォトブックもチラシも、丁寧にすんなり受け取られる。



この前、仲間4人で行った木の芽峠。茅葺き屋根の古い家に一人で住んでおられるおじいちゃんにも会いたくて、又行ってしまいました。どうして、こんなに分かりやすい場所で迷ったんだ?、と息子。??
前回、沢山の茗荷を頂いて、嬉々として帰ったけど、玄関口の大きな白いLED電球が気になる。フォトブックもチラシも受け取ってもらっていたけれど…。2年前に大病をしてるし、大きな飼犬も元気がない。つい、「まだ、電球換えてないんですね。」なんて言ってしまう。「うん、電球は買って来てるんだけど…。」「ええ!!」 離れて住む娘さんに相談したら、LEDは良くないと思うと言われたらしい。
幸い、息子の背丈なら脚立に乗ったら届く。1カ所だけかと思ったら5カ所もあった。しんどい筈です。大きな囲炉裏の側で、厚かましくアイスクリームとお茶をよばれてたら、外にいたワンちゃんも入って来ました。元気になってくれたら嬉しい。
今回、何もあげる物は無いなんて、言ってくれてたけど、教えてもらった従来の照明の店の十割蕎麦は、本当に美味しかったです。おじいちゃんに聞いたと言ったら、素朴で美味のそば餅のおまけ付き。又行きたくなってしまう。

 

 

 

 

 

10月6日


6時15分に、珍しく目覚ましで起床。ブラインドを開けたら、南西の空に虹が立っていました! 太くたくましく、くっきりとした虹。久し振りに見ました。
自然界にあるものは、みんな、「無有日記」と連動しているように思います。「復活」の文章が力強い。

 

 

 

 

 

 

10月5日


ワーク帰りの四国中央市で、「そらとぶくじら」という、こんにゃくショップを見つけたと仲間が教えてくれました。なんというタイミングの良さ♪


結婚して5年目で夫の両親を迎える形で同居しましたが、義父はコンニャクがきらいだという。なので料理に自然と使わなくなっていたのですが、ある日、いつもなら春雨で代用していた、すき焼きの具に、恐る恐る糸コンニャクを使ってみたら、鍋に入れるそばから食べてしまう! とうとう義母に、1人で食べ過ぎと叱られていました。きらいだと思ってた私もビックリ。義父にとって、味の滲みた糸コンニャクは別の物だったみたいです。
それからは、殆どを自分だけで食べてしまうことはしなくなったし、普通のコンニャクも料理に使えるし、食べてもくれるようになりました。

結構長かった同居時代。コンニャクの素晴らしさを知った今は、これも、ラッキーなことのひとつだったと嬉しく思い出されます♪

 

 

 

 

 

 

10月1日


「おーい!面白い月が出てるぞ!」と、夜の10時半頃、夫が呼ぶ。まだ東の空に低く、下弦の月よりちょっと凹んだ赤みのある大きな月がありました。リラックスしてて、まるでハンモックに寝転んでいるみたい!

朝方までには、台風は去ってくれたようで、今日は一日中素晴らしい晴天。風は少しひんやりして気持ち良く、絶好の洗濯日和。

昨夜のワーク帰りには交通機関がストップして帰れない仲間5人が、ふとしたなりゆきで、我が家に泊まることになりました。ゲストルームもあいにく予約が入っていたので、夫には、帰れない人には家で泊まってもらうかも知れないと、朝から了解済み。テニスの帰りに、美味しい種ありブドウも買って来てくれてました。
飲食店もどこも開いて無く、家での夕食でしたが、夫も入っての7人の食事は、みんなの持参した生命食で、まるで持ち寄りパーティーのよう♪ 寝るのも雑魚寝状態みたいなのに、まるで合宿みたい。
さすが、ワークに参加できたら、後はどうでもいい覚悟のできてる仲間たち。何でも楽しんじゃう! 携帯番号やメール交換もして、新しい一歩を踏み出せそうな時間でした。動いている人は、とことん見守りホローする、ムーさんとムーエナジー。何の心配も無いんだなあと改めて思います。

 

 

 

 

 

10月1日

 

 

ワークにて♪

 


・幾つでも欲しい、蒟蒻(コンニャク) (婚約?)指輪。 



・大阪のオバちゃんの得意技! お石灰 (節介?)!

 

 

 

 

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9月27日

今回も、かなりの出会いのあったワークからの帰り。ゆったり話すのが楽しい女性の靴屋さん。久し振りなので、再びLEDフォトブックとチラシを受け取ってもらう。たまたま来られたお客さんが、孫と行って買った靴を洗ったら、片方だけ色が変わって、それに片方だけが、いつまで経っても乾かないのよ?と訊いている。彼女が早速に、そのお店のLEDライトに当たり続けるとそうなるみたいですよと説明している!
土産物
店を改装して半分を小料理屋にしたけれど、全部がLED照明。彼女ではない人のかなりのきつさを感じて遠ざかっていたけれど、思い切ってランチに入ってみました。値段が高い割には全然美味しくない。久し振りの彼女からは、かなりの疲労を感じる。支払いの時に、もうチラシが無くなっていたので、フォトブックを渡したら、素直に受け取ってくれる。「味も変わってしまうよね。幸い電球型の照明なので、いつでも従来の電球に戻せるから、その時まで頑張ってね。」と伝える。

星野道夫「ザトウクジラのブリーチング」のタイトルで見かけた写真展。三島駅からの送迎バスがあって、素晴らしい快晴の中を観に行って来ました。20年以上前に熊に襲われて亡くなった時は、あんなに動物たちを愛した人でもそうなるのかと、かなりの衝撃を受けた覚えがあります。実際のくじらの10分の1位の写真なのでしょうが、他にも沢山あって、このタイミングで観られたことが、とても嬉しかったです。
売店にあった文庫本に『森と氷河と鯨』があって、立ち読みしていたら、アラスカ原住民の伝説に、ある日、くじらの口の中にワタリガラスが入り、中で暴れて、とうとうその鯨は苦しみの余り死んでしまい、それ以来、そのワタリガラスが世を治めるようになったとありました。支配者をカラスとすることに、日本の歴史と共通するものがあって、本も購入してきました。

 

帰りは、時刻表の見間違えと勘違いで、かなり遅れた時刻のバスに乗りましたが、それは、隣り合わせになった女性に会わせてくれるためだったような気もする、富士市に住む方との出会いでした。新幹線で初めて新富士駅近くから見た富士山の裾野いっぱいにある工場地帯とその煙。この工場の殆どが、本当は澄んで美味しい筈の富士山からの伏流水を使ってしまうのかと、かなりのショックだったと話しても、嫌な雰囲気をされない。嫁いで来た頃は製紙工場からの臭いが気になったけど、慣れましたと言われる。当然のようにフォトブックもチラシも受け取ってくれてお別れしました。

 

 

 

 

 

9月22日

 

窓に吹き付けるのも一段落かなと、泥みたいな雨跡の残っている窓ガラスを拭きました。角部屋なので、枚数も多いし、風当たりも強いので汚れもつきやすい。

取りあえずの窓拭きなので、目立つ汚れだけ取ろうと思ったけど、それでも、かなりへばりついている。いつの間にか、又、一段と体力を付けてもらえたようで、そんなに疲れを覚えずに一気にやれてしまえたけど、これを仕事としている人たちは、今までよりかなりの労力を必要とするような気がして、心が痛みます。いつも、大変な思いをするのは、現場の人たち。

 

 

先日の遠出の前に、車の点検をお願いに行きがてら、いつもの麦とろ定食の美味しい店に寄ったら、初来店の娘さんとお母さんに出会いました。ここのりんごジュースだけは飲めるんですという私の話しから、LEDの悪影響も初耳だと、流れるように会話ができました。原発もアスベストも、水俣病も、真実をちゃんと意識されてるよう。娘さんも一緒におられたので、将来を思うお母さんの気持が自然と伝わってくる。LEDフォトブックもチラシも早速見させてもらいますと受け取られる。
帰り道の1時間余りの運転は、途中から、かって経験したことの無いような眠気。でも、それって、とっても温かな、渡るべき人に、本もチラシも渡ったのが原因かなと嬉しくなる。


この店のご夫婦、特にご主人は、下の陶器の店もLED照明だけあって、なかなかスムーズにはいかないけど、奥さんは今でも料理を習いに行ってるだけに、簡単で美味しい料理も出すし、調理方法も教えてくれる。今回はピーナツバター。一寸古くなった、八街産の安い、(BかC級品?)があったので、作ってみました。


殻付きピーナッツ・・・ミキサーの羽が回る程の分量があればOK
砂糖・・・少量(小さじ1程度)


殻だけを取って、薄皮はそのまま。ミキサーに入れて、10分程攪拌させて出来上がりです。最初固くて回りにくいですが、何度かスイッチを切って混ぜ合わせたら大丈夫です。薄皮が入るせいか、香ばしさもあってとても美味しく感じられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月21日


「再生」(6)の6.7.8になるだろう文章がいっきにアップされた時には、読む程に嬉し涙が溢れてきて、鼻をかみながら何度もガッツポーズ。昨夜は
「再生(6)」になった文章を寝床で読んでたら、飛び跳ねたいような、くじらと一緒にジャンプしたいような喜びでした。
かって、くじらにエネルギーを与え続けた場所が、本来の仕事をしだすための応援。それが、少しでも届く自分になりたい。

 

 

9月21日


もう20年以上も前になると思いますが、ウオッシュレットのトイレが普及しだした頃に、義母の病院付き添い帰りのタクシーの運転手さんが、それによる過剰な洗い過ぎが原因の病気とみられる患者さんを何人も乗せたと話してくれました。それ以来、小水の時は使わなくなりました。
大っぴらにはしにくい症状ゆえに、なおさら、医療機関から発信しなくてはならない使い過ぎへの警告。それが、最近では、狭い空間にここまでするかの沢山のLED照明付きです。それにLED水まで加わっています。仲間も書いていますが、そこには、大きな隠された意図を感じます。

 

 

 

 

 

9月17日                           

 

地方に行く程に、車社会になってしまっているのを感じます。店はどこもコンクリートの広い駐車場。

この所、日本海側に行くことが多いけど、まだまだある従来の照明の道の駅は嬉しくて、何度でも行きたくなる。誰でも、空いていたら、なるべく店の近くに車を止めることは、当たり前のことだけど、その場所が、幾つも車のタイヤの4つの位置が凹んでいる。最初は、タイヤからの雨でより水分が多く溜まりやすいだけだったのかもしれないけれど、そのLED 水が原因で少しづつコンクリートが溶け、じわじわと沈んで行く。そして、又、そこには雨が溜まりやすい。大きな悪循環が進んでいるようで、ぞっとする風景です。

 

行くきっかけは定かではないけれど、雪解けの季節に行き、雪もあってたどり着けなかった、道元さんに縁あるらしい福井県の木の芽峠に行きたいと、車でのレトロな仲間4人での1泊の旅。美味しい蕎麦を食べる楽しみだけではなく、日本海の若狭湾の海、三方五湖近くの縄文博物館の見物まで予定に入れての旅は、黒雲のエネルギーも沢山感じながら、LEDの悪影響を沢山見せられながらも、お茶目な太陽に見守られながらの楽しい旅でもありました。自分の中にある負のエネルギーも、かなり浄化のきっかけになったように思います。この時期での仲間との合流は尊い。
良いも悪いも無い中にいると、遊び心の偶然が、いろんな人との縁を繋いでくれるような気がします。結果を求めて、数を沢山渡せば良い物でもない、LEDフォトブックとチラシ類ですが、車なのに、4人共に、いろんな方に渡って行きました。

 

 

 

 

 

 

913

又一人、大きく動きだそうとしている仲間がいる。

「自分を見つめ直し、真剣にムーエナジーを歩んでいきたいです。宜しくお願いします。」のメールが嬉しい。

その仲間に、真摯に向き合って、そのきっかけを与えてくれた仲間がいる。ストップしていた私のパソコンまで動き出した!

エネルギーは正直。ごまかしようがない。

 

 

9月11日

太陽が本当に元気で優しい。今日の夕陽も東の家々をピンクがかったオレンジ色に染めて、本当に美しかったです。

 

月を想うと、何故だか分からない涙が、何度でも溢れてしまうのです。今日付けの日記にあった実に面白い遊び心を表したくて、物語を作って月を回転させてみました。

月の坊や


くるくるくるくるといつも元気だった月の坊や。それが、元気の元だった太陽からの電磁波(電子)が充分に届かなくなったことで、とうとう回転は止まってしまいました。同じ状態でもかろうじて持ちこたえた地球母さんは、人間のお母さんが赤ちゃんが歩き始めた時にするようなかがんだ姿勢で、坊やが落ちないように、離れて行かないように、しっかりと両手を繋いで支え続けた8億年…。だから月はいつでも地球の方を向いています。地球母さんは、そんな不自由な状態でも、月だけではなく、みんなの為にやれることをやり続けました。

太陽が元気になったので、地球母さんも、どんどん元気になっています。もうそろそろ大丈夫かなと、坊やの右手と自分の左手を離しました。母さんはこれで左手が自由に使えるので、大きなエネルギーです。二人で並んで歩けます。太陽の音楽が聴こえます。月の坊やもどんどん元気になる。踊りたくなる。駈け足もしたくなる。片手を繋いだまま、くるりと1回転してみました。出来た! 坊やは左手を母さんの右手で支えてもらいながら何度でも左回転できました。

「地球母さん、もう支えの手は要らないよ。元気だった頃の自分を思い出したよ。このまま、くるくると自由に回転するからね。大丈夫だよ。今まで見守ってくれててありがとう。太陽さんもありがとう。」

 

 

 

9月9日

エネルギー的には偶然ではないだろう偶然が、ますます色んな繋がりを作り、愉しく軽やかに回転しだしたような気がするこの頃です。

1昨日、思いがけずの遠来の友と京都泊し、京都嵐山付近に行きました。その時まで知らなかったのですが、かなり長い渡月橋の片方の欄干の殆どが、内側に倒れていました。直接には台風を原因としてるけど、LEDの恐ろしさを、まざまざと見せられた気がします。
それでも、電車やバスでどこに移動しても、その度に雨もやみ、明るくなった空から、柔らかな太陽が姿を見せてくれました。京都の土地も、ムーエナジーをより一層歓迎してくれてたような気がします。

 

 

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8月30日

今日から福井県敦賀市のもんじゅの核燃料100本の取り出し作業が始まったと報じられています。この夏には、今まで自ら知ろうとしなかったこともあるけど、地球には要らないものが、この地中に沢山埋められているのを知りました。
太平洋戦争時に製造されてた広島県の大久野島での毒ガス。ベトナム戦争時に日本で作られ、九州の山の中だけでも20ヶ所以上コンクリート塊で埋められてる枯葉剤成分。青森県六ヶ所村に埋められている核の廃棄物etc…。
太陽は、この夏の異常な程の暑さで、それらの、地球には要らない有害物に、LED水が到達しないように、早くに蒸発させる働きもしてくれてるような気がします。

 

 

8月28日

昨日、夫は、あるこう会というグループの行事で、ツバメが南の国へ旅立つ前に集合するという奈良の平城京跡に、午後から出かけました。日が暮れるまで、何度となく、夥しい程の数のツバメが大空を旋回したそうです。その数のまま夜はそこで過ごし、明け方には、それぞれに、元居た場所に戻っていく。それをこれから毎日繰り返して、9月10日頃にそこから一斉に日本を後にするそう。それまでには、今年生まれたヒナたちも飛ぶのも集団にも慣れるのかな?
数年前に夫と車で旅した時に、偶然に、浜松か静岡の駅近くに何ごとかと思う程に沢山集合した渡り鳥たちが、何度か旋回した後、大空に飛び立って行くのを見たことがあります。ただ息を飲んで見つめるだけのような、大変な迫力を感じました。どうやって全員とコミニュケーションを取るのか、不思議過ぎました。

今年は、日本海側に車で行くことが多くて、至る所で、ツバメの巣に出会いました。それを見てると、ツバメには、人間とツバメの境界が無いみたいで、玄関の隅とか、電球の上とか、こんな所にも巣作りしてしまうのと笑えてしまう程。こちらが手でつかめそうな高さでも平気。じっと眺めてても親も子も安心しきってる。
道の駅も、まだまだLED照明ではない所もあって、沢山の巣のヒナの誕生に出会いました。眺める私たちお客も笑顔です。毎日の糞の掃除は大変かもしれないのに、ニコニコしながら片付けてるおばさんたち。
今年はエサも少なくて、沢山のヒナを巣立たせるのは大変だったと思うけど、来年も変わらずにやって来て欲しい光景です。

 

 

8月27日

いつも、誰かやみんなを思って行動していたつもりが空回り。それがこの頃は、空回りと思っていたことが、いつの間にか軽やかに回転している??温かいエネルギー。

月の有る夜が苦手の筈の蛇系の人たちが、なぜ、月夜に宴を催してまで、大掛かりに楽しみ、和歌に沢山残すのか?そんな疑問にはっきりと答えてくれたような今回の大阪ワーク。月は、どれだけの悲しい役目をしていたのか…。太陽や地球も…。
もう、二十年近く前の、飼犬と夜にも散歩に行ってた頃のことです。そのコースには、殆どが夜空の、野球や球技の練習場の側の道もあって、満月の時も通りました。殆どが空だけの景色では、月がとても小さく見えます。真っ暗な中にたった1人で居る月に、荒涼とした寂しさを感じてしまい、話題にしたら、それは自分が寂しかったんだろうと言われて、納得してしまいました。勿論、それもあったのでしょうが、月の寂しさも感じさせてもらったのではないかと、今は思います。このままの月にはしたくない。

 

 

8月21日

「再生」2章の3になるだろう今日の文章は、読む程に、当時の人たちの辛さ、悲しさがもろに伝わってくるような気がしています。大きな反応です。もしかして、今なお、多くの女性たちが妊娠の時に味わう、つわり(悪阻)という症状も、この時が原因なのかなと思ったりします。私も、上の子の時は、出産までつわり状態でした。だとしたら、その原因が浄化されたら、これからの女性は、楽に妊娠、出産を迎えられるかもしれません。そんな光を感じながら、当時を悲しんでる場合では無いと、心を引き締めています。

 

 

 

8月19日

昨日、散歩の途中で、小さな(直径13cm)地球儀を買いました。小さくて軽いのでどんな風にも動かせて、とても気に入っています。太陽になって地球を見ているような気分になったりする! 少し遠くから見ると、窓際からの光で、空色の海が透き通って見える。 いつか、こんな地球になったらいいなあ!

今日の夕陽も素晴らしくて、家のベランダから見えるようになった西の空の太陽は、最初、回りまで黄金色でした。すぐ側には斜めにひこうき雲。大空にも真っ直ぐなひこうき雲。その空の真ん中には白い上弦の月までありました。
光の色が変わったような気がしたので、見えにくい方の目でじっと見ながら、勝手に太陽と何かお話ししました。いろんな色に変化して答えてくれます。本当は、自分の言葉も、太陽の言葉も分かりません。ただ遊んでいるだけかも。でも、勝手に、よくやってます(笑)。とっても楽しくなる時間です。元々が病んでいた目なので、太陽を直視しても、これ以上は悪くならないかなと安心しています。直視の後のダメージもありません。でも、無理は禁物。気をつけます。

 

 

8月18日

目からウロコ(3)

プロテニスプレーヤーのマリア・シャラポアさんが、放射能も原因して身長が189cmにも伸びたのではないかと表現してると、前に日記で書いたけれど、放射能が充満していた恐竜時代なら、1年間では少しづつでも100年もしたら巨大な恐竜になる…かも。肉食を主とする、西洋人の大きさも話題になりました。
ワーク後に仲間と食事に行った時、一度のエレベーターに乗り切れないので、次のを2人で待っていました。少し離れて長身で黒のワンピースの人も立っていたように思います。私たちが乗った後、その人も乗ったのですが、挨拶が日本語だったので、思わず、
「背の高い方なので、てっきり外国の女性かと思ってしまいました。」と言いました。

「あのう…。女性ではないんです。」
「…?! 男性ですか?!」


 

 

8月18日

あっという間に8月も下旬になろうとしています。5億年前の地球を意識すると、身体(特に頸椎)が大きく反応します。大阪は今日も美しい夜明けです。昨日の太陽と風は、本当に爽やかで、どんどん癒されるのか、電車でも、家でも眠くて困りました。
東京ワークでの日々は、本来を取り戻した、何があってもへこたれないような仲間たちに、沢山のエネルギーを貰ったような気がします。思いがけない縁で誰かと繋がってるかもしれない。これからの不思議さと面白さにワクワクとしています。

夫は、私の留守中に息子の所に二泊し、思いのままに運転し、無事帰宅していました。かなり面白かったようで何より。息子と兵庫県境まで海岸線をドライブに行った帰り、暗くなった農道を走っていたら、2回も、イノシシの親子が農道を渡るのに出会ったそうです。1度目は、母親と3匹のうり坊(イノシシの赤ちゃん)。2度目は、3頭の大人と3匹のうり坊。大人のイノシシは大きい。かなり立派な道なのに、たいして遅くない時間に車には1台も出会わなかったそうなので、轢かれる心配はあまり無さそう。それでも、山などの自然の中ではなく、農道で出会ったことに、イノシシ家族の食料調達だけでも、人にもイノシシにも大変なことに思えます。

 

                             

 

8月11日

今朝、5時半頃の太陽は、朝もやの中で、トマト色のような赤で、まるで風船のように軽やかでかわいく見えました♪

初めてゴキブリが出てきました。洗濯機の後ろの壁。昨日から来宅していた息子が髭剃りをしていたので、そっと掴んで外に逃がしてと頼んだけど、隅の狭い所がお気に入りみたいで、すっとそこに入ってしまう。追い立ててもダメ。こちらからよく見えるので、暫くそこに居てもらうことにする。
ゴキブリも蚊も、今年の少なさは、いつの間にか、全国的な高温のせいにされている。太古の昔から生き延びてるゴキちゃんが、こんな位の高温で居なくなるはずないと夫と息子には言う。

 

 

8月9日

強烈なものまで感じる日本の福祉世界のキツさ。男性単身者が多く、やたら選挙ポスターが貼ってある地域。その近くのスーパーまで行くけれど、しばらく遠ざかっていたその地区にある食堂兼喫茶。涼しかったので、少し早めに、散歩がてらに行ってみました。いつもテレビは点いているけれど、従来の照明で、併設している天然酵母のパン工場も嬉しくて、何も考えずに寄っていた場所。コーヒーも紅茶も、食材は良い物ばかり。私にしたら珍しく、LED照明の悪影響の表現もせずに、センテンスを読んで淡々と過ごすだけでした。(いつも居眠ってたかなあ?)いつか、照明の話しで盛り上がってる明るそうなグループがあったので、チラシとLEDフォトブックを見てもらいながら、話題に入らせてもらった時がありました。行ってて良かったなあと思いました。
それからなのか、その前からなのか、不自然に完全に無視しだした男性スタッフ。その豹変振りが凄すぎて、変な面白さもあって、昨日もただ、コーヒーとアンパンで、センテンスを読み、余りのクーラーの寒さに、早めに店を出ました。利用する大半の人が、車椅子利用とか、何かの障害を抱えた人が多いかもしれない店。それに施設や病院の関係者。いかにもの優しさを表現しながら公的機関の援助を利用し、どうしようもない暗さを発している。そんな場所が、日本の至る所にありそうな気がしています。

 

 

8月4日

この暑さ! 太陽は、これまでのどれだけの負を燃やしてくれているのでしょう? 又、1段階元気にさせてもらったようなこの身体。太陽も月も、いろんな姿を見せてくれます。昨日の朝5時過ぎの、赤みを帯びた太陽の美しさ! 薄雲からなので、はっきり眺められ、歓声を上げて見とれていました。

「歴史の芯」が、全部読みたくなって、かなり集中して読み終わったタイミングでの、8月3日付の「無有日記」。まだまだ理解の足らない面ばかりだと思うけど、そこから離れて、次に行かせていただきたいです。

息子が出張帰りに、車を貸して欲しいと言うので、これ幸いと(笑)、又一緒に同乗して、山陰まで行って来ました。2日間とも快晴。ふと、夫が去年の夏に乗ったと言っていた、遊覧船に乗りたくなり、小さな船で静かな海からの入り組んだ崖の景色を眺めました。この前行った灯台も見えます。入り江で大きな水中眼鏡から海中を観させてもらいましたが、出会ったのは、小さな黒っぽい魚が3匹とワカメだけ。夫に訊いたら、去年は沢山見えたらしい。
私たちの年代の子供の頃は、小川でも、池でも、水溜まりでも、至る所に沢山の生き物がいました。それが、こんなに美しく透明に見える海に、小さな魚さえほんの少ししか居ません。悲しい風景です。

息子は広島への出張だったそうで、「広島の平地の脆いのは知ってたけど、何であんなに山が崩れるんだろう?分からん…。」と言っていました。ムーさんの7/00、8/00の日記のコピーも読んでもらってた夫は黙っています。聞く耳を持たなかったような息子にも、参考になると思うから読んでねと渡しました。何も言わなかったけれど、読んでくれた気がします。

 

 

 

 

 

7月29日


目からウロコ(2)

エレベーターで乗り合わせた身綺麗に見える年配の男性に、「台風が大したこと無くて良かったですね。」と声を掛けました。「しかし、この頃天候不順ですね。」と返事。「LEDが原因みたいですね。」と私。
その後に、「お幾つですか?」と訊かれるので、正直に「72歳なんです。」と答える。そして「おたくは?」と訊いたら、にこやかに「85歳です。」と言われるので、「うわあ、そうですか!お若く見えますね。」と言ったら、これもにこやかに
「失礼ながら、おたくも私と同じ歳位かと思いました。」ですって??

 

7月29日

今朝4時前に目覚めたら、丁度台風接近のピークだったようで、上の階のベランダからか、聞きなれない音が風に合わせて何度も響いていました。それでも、そんなに酷い風雨では無くて、7時前には穏やかな天候に戻ってきました。

夜の空も清んでいて、いつもより沢山の星が見える。いつもならLED照明を避けて早めにブラインドを閉じるけれど、東からの風が涼しくてとっても気持ち良い。もったいないような気がして、開けたままにしていたら、新しくできた高層ビルの上から、雲の帽子をちょっと被ったような、満月か十六夜の大きな月の大半が目に入りました。太陽もお茶目なら、月もお茶目らしい。ビルの屋上からヒョイと顔を出したように思えて、吹き出したり見とれたり。

ワークへも大半の人が普通に参加できて、いつもいつも普通ではない普通。ムーさんの凄さを今回もしみじみと感じています。軽やかになって、太陽も月も一緒に歩く。クジラもイルカも一緒。みんなも一緒。改めて、そう思わせてもらえたワーク日でした。

 

 

7月28日

いつだったか、団体バスに乗った時、ガイドさんが、「昔、中国からこの日本に渡って来た人が、亀も一緒に連れて来ました。今でも3ヶ所に地名として残っています。これから通る亀山市と亀岡市。もう1つははたしてどこでしょう?」というクイズを出しました。答えは丸亀市でした。
子供の頃から、亀が苦手でした。特にぎゅうっと伸びる首から蛇に似ている頭が恐くて、何だか気持ち悪かったのです。何も知らない頃、大阪の四天王寺に行って、四角い池にうじゃうじゃ重なるように居た亀が、いつまでも頭から離れずにいました。
福岡県庁近くの公園には、亀山上皇だという大きな像が、これも大きな日蓮像の近くにありました。八幡宮の本山と言われる宇佐神宮にも、この亀山上皇が祀られていて、亀の甲羅を焼いて、その色で占ったとありました。そこにあった神木といわれる松の木の、膨らんでる場所の幹は、蛇ではなく、亀の甲羅を思わせるものだったので、不思議な気がしました。

先日、仲間が来宅していろいろ話した時も、亀の話しでは、2人共に大きな反応。この頃は、軽やかになった仲間たちと居ると、楽しみながら沢山教えられます。他にも、多分象牙だった琴の爪はもう無いよねと話したけど、ふと、結婚以来、家計の通帳に使っている銀行印が象牙だと気が付きました。やっとです。そう言った途端に、2人共、すうっと身体が軽く楽になりました。
押し易くて丈夫ということで、やたら流行っていた象牙や水牛の印鑑。踊らされていた自分がいます。しかも、印鑑と朱肉はセットです。早速に銀行に行ったのですが、夫本人でないと変更できないそう。夫は手強い。勿論、めげるつもりはありませんが(笑)。

 

 

 

7月26日

昨日、夫は縁ある人の身内のお通夜に出かけて行きました。帰宅してから、300人位出席してたぞという話しを聞いても、今の私には、何だかまるで別世界の話しを聞いているような気がしました。

夕飯が遅かったので、7時20分頃の日没を過ぎてからの東の空の景色と、近くのホテルのガラスにいつまでも映っていた赤い夕陽の光を見ていることができました。明るさを増してきた月もありました。涼しさの感じられた昨日の夕方。夫も帰りがけに見たと言ってたので、沢山の人が太陽の沈んだ後のビックリするような美しさを味わったのではないかと嬉しくなります。太陽は、本当に大きな、すべての人に優しい存在です。

 

 

 

7月24日

重量級の重石となっている音楽が、私の中にもまだまだ沢山あるようです。大きな反応です。いろいろ思い出されます。それでも、今日の午後からの空は澄んでいて本当に美しい。夕方の西の赤みがかった空と、雲の無い空の真ん中にあった月も明るく美しい。

去年だったか、私からのチラシを持って、農作物のダメージをLEDの原因と農家の仲間の前で話して、かなり否定されてしまったと、かなり怒った様子で話されたブドウ農家のご主人。今年もデラウェアの収穫時期になり、やはり美味しいかなと、つい立ち寄ってしまう(笑)。先日は、「あんたも、もうそんな活動やめや!」なんて言われたけど、「おじちゃんには申し訳無かったけど、これからの子供や孫たちの時代のことを考えると、私には、止められないのよね。」なんて言ってしまった。
昨日、又立ち寄ったら、役所の人に私からのチラシで質問し、みんなの前で否定された時のことを詳しく話してくれました。農家のご主人の辛かった思いは、私の中のどこかでずっと感じていて、心で包んでいたことでした。「役所の人は、言うことを聞かないといけないと思ってる人が多いですよね。」とだけ言えました。後は聞くだけ。桃も農薬いっさいしていないし、トマトもLEDに当たって無いと奥さんが言われる。
かなりの高齢に見えるご夫婦。今年のデラウェアも、後味までが本当に美味しい。LEDには当てないでいてくれてるようです。身内にも食べさせたくて、送ってもらうことにしました。今日はその送り先から、美味しい美味しいと電話とメール。
心ある農家の人と、育てた作物の味は、これからもずっと大切にしたいものです。

 

 

7月23日

いつもに増して空を眺めるのが楽しみだったここ数日。昨日の刻々と変化する空は、例えようもない程に美しかったです。

いつも宅配で送っていただいてるコーヒー豆。昨日発送したというメールに、いつもの優しそうな青年にプレゼントが入れてありますとありました。幸い、配達がその青年だったので、グアテマラのコーヒー豆を渡せました。知人がそこに住んでるんですと言われる。
いつも、ニコニコと届きましたよと配達してくれる彼。その彼に渡すという、とっても良い役をやらせてもらったようで、朝からワクワクです。

 

 

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